なぜアダルトビデオ界の巨匠は、多重人格の女性と本気で向き合ったとき、「人格を1つに統合したりせず、7人全員そのまま残そう」と決意したのか

 
 多重人格、そして性、人間の尊厳について深く考えさせられる名著『マルチエイジ・レボリューション』。
 
「納品されれば良い」という考えで、とにかく画を撮り作品を作ってはベルトコンベアに乗せる制作手法が主流のアダルトビデオ業界で、
撮影する女性、一人一人と正面から向き合い、人の奥深くを見つめる作品を産み出す特別なAV監督・代々木忠(よよぎただし)。
 
 氏の撮影手法は、独特だ。
 
 まず、撮影前に女性と必ず「面接」をする。「最近どうなの?」とか「彼氏とはうまくいってる?」とか、色々なことを訊いて、女性の話に耳を傾ける。女性の立場になって、想像力を駆使して、親身になって女性の話を聞く。
 
 そんな氏に女性は、だんだん心を解放して本音を話していく。ふだんの生活で溜まっている鬱憤や、誰にも話せず、理解もされなかったしこりのような悩みを打ち明ける。
 
 それはまるでカウンセリングのようである。カウンセラー役である氏は、女性の心理の、ふだん見せているより奥へと入り込んでいく。
 
 撮影時は、時に催眠やチャネリングを用いて心を閉ざした女性の殻を開いていく。面接時の話から、この女性に心を開いてセックスしてもらうにはどのようなアプローチをすればいいかを考え、現場で試す。
 
 今まで氏は数々の、過去に深いトラウマを抱え、心に闇を閉じ込めた女性を撮影し、その過程で、彼女たちの閉ざされた門を開いてきた。
 
 いつしか氏の許には、自分の悩みや生きづらさを解決するための手段に氏のビデオを見出した女性が来るようになった。「私を撮ってください。そして、私を救ってください」と、彼女たちは自ら氏のビデオへの出演を願った。そして、色んな形で彼女たちは救われていった。
 
 そんな氏が自ら筆を執り、書き上げたノンフィクション『マルチエイジ・レボリューション』の主人公・泉みゆき(24)も同じケースである。
 

「きょうは代々木おじちゃんにお願いがあって来ました。」
 
 彼女のそれまでになく真剣な表情に、自然と私も居住まいをただした。四歳の少女は怖じけることなく切々とこう訴えはじめたのだった。
 
「一つの体にたくさんの人が入ってるのは、べつに変じゃないと思ってたけど、みんなもそうだと思ってたけど、みんなは私やまいちゃんやみなみお姉ちゃんやかおるお姉ちゃんみたいに中に入っている人はいないとわかりました。でもほんとは私たちとおんなじような人もたくさんいます。だけど、中でいろいろお話とかができる人は少ししかいなくて、病院とかに閉じ込められている人がたくさんいます。私たちは変でもないし、病気でもないです。
 
 代々木おじちゃんはビデオとか本とか書いてるし、私たちのこと、病気とか変とか言わないでほしいって、ゆかちゃんたちのこと、本とかでみんなに言ってください。お願いします」
 

 作中で代々木忠にそう話したのは、泉みゆきの4歳の人格・ゆかである。泉みゆきが4歳の頃、母親に水を張った浴槽に投げ込まれたときに生まれた人格である。
 
 泉みゆきの中には、他にも5人の人格がある。
 
 泉みゆきが小学1年生の頃、洗濯物を山ほど持って階段を降りていたら後ろから母親から突き落とされたときに生まれた6歳の人格。
 
 母親の借金と引き換えにレイプされたときに生まれた小学校6年生の人格。
 
 しっかり者で理路整然とした言動が特徴の、泉みゆきの理性を請け負う大人の人格。
 
 同じく泉みゆきと同年齢だが、人生や社会への不満や鬱憤を色濃く抱え、他者に暴言を吐いたり自傷したりと、暗部を請け負っている人格
 
 そして、みゆきの心のなか(7人の人格が住む内的世界)に置いてある、【暗くて寂しい感じのする黒い箱】に入ったままずっと出てこない、小学校3年生の人格・・・
 

 こういう話をすると、どうしても「なんだかキナくさい」「多重人格っていうけど、ただの演技じゃないのか?」という疑問が浮かんでしまうものだと思う。
 
 一度ぼくは、泉みゆきが話している実際の映像を見たことがある。
 

7人の人格全てを映像に収めた幻のビデオ『多重人格、そして性』の映像を観て感じられたこと

 
 
 そもそもこの『マルチエイジ・レボリューション』に書かれている泉みゆきとの交流や、諸々の悩みや生きづらさの解決への突破口になる【オーガズム】を目指して実際に男優の平本一穂氏や日比野達郎氏とセックスを行なったときの様子は、『多重人格そして性』というタイトルのビデオになって一度世に出ている(今はどうやら廃盤になっているようだが)。
 
 
 廃盤がゆえに手に入れられなかったのだが、代々木忠を追ったドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』にてそのビデオの一部が使われていたので、ぼくは泉みゆきの映像を断片的に見ることができた。
 
 黒色の服を着て、赤い口紅を塗った、かしこまった恰好の女性が画面に映った。輝きのない暗い一重まぶた。中年女性のように窪んだ口元。
 
「私はその間は眠っているような感覚で、フッと目がさめると、もう、この辺(体)が、血だらけになってて、その辺にカッターがあって・・・っていう状態が何度かつづいたんですよね」
 
 この真面目そうな印象の女性の下には、[泉みゆき 24歳(基本人格)]というテロップが出ていた。
 
 場面が変わり、次に映ったのは、布団の上で泣き叫ぶ泉みゆきと、その上に覆いかぶさって彼女を優しく抱きしめている白髪の男性――つまり代々木忠――の画だった。女性は代々木忠の腕に抱かれながら、涙でにじんだ目をギュッとつぶり、腕にしがみつくようにして叫んでいた。
 
「私が・・・」
 
「こっちを見て」
 代々木忠が静かに語りかける。
 
「私が消えちゃうー!!!」
 そして彼女はむせび泣いた。
 
 次の場面では一転、青い服を着て銀色のメガネをかけた泉みゆきが映っていた。かしこまった格好のときと違って柔らかな印象を受けた。
 
「ゆかちゃんはきょうは森にいってました!」
 そう言って口元をムギュッと真一文字に結ぶと、相手の次の反応をイキイキ待つかのように、体を弾ませるようにあどけなく上下させた。その場にじっとしてられない活力が感じられた。
 
「森に行ってなにしてたの?」
 代々木忠が訊く。
 
 彼女は何か話したそうに
「んーっとねえ!」
 と応答したが、
 
「んーっとね・・・」
 と、次は話の内容を探るかのように下を見た。
 
 話す内容を見つけたのか代々木忠の方を見てこう言った。
「・・・クマさんのとこいったんだけどね、いなくってね、それで、で・・・」
 
 24歳の基本人格(泉みゆき)と4歳の人格(ゆか)。2人の様子を見比べると、【豹変】と言うには自然すぎた。そこには力みがどこにも見当たらない。2人は完全に地続きの存在だった。
 
 演技だとしても業界人がヨダレを垂らして求めるだろう逸材だ。
 
 しかし映像を見て息を呑んだぼくは、本物or偽物を見極める視点とは完全に別次元の感想を抱いた。
 
「これは、世の中の大半が認知していない、人間が本来持っている能力であり、可能性だ。」
 
 ぼくは、4歳の言葉と口調で話す彼女に一種の共感すら覚えた。
 
 誰でもストレスが溜まったとき、駄々っ子のような態度を取ったりと幼児退行する瞬間があると思うが、彼女のそれは、幼児退行の延長線上にある―――そう直感できた。
 
 つまり、彼女は特別でもなんでもなく、ぼくらと地続きの人間でしかない。この人格の切り替わりは、おそらく、役に憑依する役者の演技と原理が似ている。
 
 映像を見ているぼくの無意識下で、価値観がガタンと音を立てて動き出すのが感じられた。
 
 多重人格、自分のなかにいる、何人もの自分。怒り、悲しみ、強がり、憎しみ。
 
 人間の深み・・・・・・
 
 
 
 『多重人格そして性』のエンディングでは、泉みゆきの暗部を請け負う人格が言った以下の言葉が、そのままテロップとして使われている。
 

 私たち七人は
 それぞれ必要があって
 生まれたのです
 誰一人かけても
 生きてこられなかった
 

 『マルチエイジ・レボリューション』を読むことで、ぼくは多重人格への偏見が打ち砕かれ、より人間の神秘と不思議を感じ、深みを見出し、興味を掻き立てられた。
 
 そんな読書体験を、ぜひ、あなたと共有したい。
 
 「人間とは何か」という問いに、いささかでも興味を抱いているあなたに、この本を読んでもらいたい。
 
 多重人格という数奇な運命を生きる泉みゆきの生活や心のなかを、本書を通じて知り、感じることで、それらが全く他人事ではなく、あなたの生活や心のなかと直結していることがわかるだろう。