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今までの「社会問題を解決するために良いとされた努力」が、今のカオスを生んでいる

 テレビの討論番組で、知識の豊富さや理論思考に優れたコメンテーターが、つばを飛ばして自論を語る。

 
 彼ら彼女たちは、すでに社会に根深く根づいた価値観やシステムを改善させようとしている。
 価値観やシステムを否定したり、肯定したり、議論に忙しい。
 
 結局、既にある社会の価値観やシステム内でガヤガヤしているだけ。
 
 その様子はたとえるならば、東京の、常に渋滞している車道をいかにスムーズに通行させるかを、会議室の机の上で話し合っているシチュエーションだ。
 
「渋滞を緩和するために車道をもっと整理しよう」
 
「地上の渋滞を避けるため、柱を立てて上を走れる道路を作ろう」
 
「地下にトンネルを掘って、地上の通行量を半分に減らそう」
 
 みんな、一定の善意から意見をいう。
 そして、東京はさらに、混雑した街になってしまう。
 
 従来の価値観に囚われない人はこう思うだろう。
 
 (車を減らせばいいのでは……)
 そうすれば、渋滞は自然と減っていくだろう。
 
 物や、考えを増やし、議論を重ねるほど、事態はこんがらがり、わけがわからなくなる。
 
 もっと、問題をしなやかに解決しよう。
 
 こんまり氏は、「整理術」「捨てる技術」みたいな考え方が飛び交ってた片づけ業界に、『ときめき』という手法で革命を起こした。
 
 片づけはそんなに難しいものではなく、好きな物は残して、好きじゃない物を捨てたら、部屋はひとりでに過ごしやすくなる……こんまり氏はそう説いた。
 
   コミュニケーション界でも同じことが起こりつつある。 
 コミュニケーション力の重視される近ごろは、あの手この手の理屈で上達させようとする本が横行している。
 どんな理屈が飛び交っているか、例を挙げることすらくだらない。
 
 そういう本やセミナーからマジメに学ぼうとすればするほど、当たり前のことを忘れてしまう。
「人との交流は理屈で行うものじゃない」
 そんなこと、誰でもわかっている。
 
 
 『5年間引きこもりだった元カリスマナンパ師に教わった コミュ障改善の本質』で紹介されている、カウンセラー・高石宏輔氏は、コミュニケーション業界におけるこんまり的存在として、これから少しずつ台頭していくだろう。
 
 ややこしい世の中だ。
 色んな問題が起こり、増え続け、絡まり続けるカオスな状況……
 まともに取り合ってたらキリがない。
 
 死角を狙おう。
 情報化社会。乱立するブログ、ニュースサイト、ソーシャルネットサービス。増え続ける思考、概念、批判、誹謗中傷……
 情報の海に、情報を放っても、呑みこまれるだけだ。
 
 こんまりは、「整理術」「捨てる技術」などの【理屈による片づけ】に対して、どんな矢を放ったか。
 
 カオスに右往左往する世の中に必要なのは、恐ろしくシンプルで、矢のように鋭い解決法だ。
 
 
 
 
 それにしても、「車を減らそう」という考えは、エコが推進された今、主流となっている。
 
 地球温暖化や震災などをきっかけに、今までの価値観、社会システムを根本的に見直す運動は、すでに活発化してる。
 
 LGBT問題における同性婚の認可とか
 政治における国会前抗議とか
 
 価値観の変換が起きている。
 
 
 
 

少年ジャンプも予備校の授業も面白すぎるから、それらの持つ有害性に気づきにくい

 少年ジャンプは面白い。
 ぼくも過去、様々な名作に没頭し、我と時間を忘れてページをめくり続けた。
 
 作品では、問題が起きると戦闘シーンが発生する。かなりの率で戦闘状態に持ち込まれる。
 
 これ、子どもの教育に悪いと思う。
 もちろん、「戦闘すること」が悪いという意味ではない。
 ぼくが言いたいのは、問題解決に『戦闘』を持ち込む必要はない、ということ。
 
 殴り合う前にたくさん考えるべきである。
 
 勧善懲悪思想が散見されるが、悪に見える人(あるいは物)への見方を変えれば『善』が見える。
 少年ジャンプでは「物事を粘り強く見る意義」を学べない。
 
 そもそも『勝利』する必要がない。
 制作側は娯楽の装置として、物事に白黒つける戦闘を好んで用いているのだろうか。
 
 

 予備校の先生はクセがあり魅力的な人が多い。

 授業も学校のものと比べてはるかに面白い。
 授業中に出てくる、授業の内容とは全く関係のないムダ話もたまらなく心地よい。
 
 予備校のエンターテイメント性はすばらしいものがある。
 
 だが、それまでだ。
 受験に際する知識の詰め込みは、一生においてほとんど役に立たないことくらい、誰もがわかっているだろう。
 
 予備校の授業は、根本的にムダなことをしている。いかに受験戦争を勝ち抜くか、これに関する戦略立てを行う・・・受験後の人生には役に立たないだろう。
 
 受験を戦い抜くことがその後の人生に良い影響を与えることは確かだろう。物事に取り組む上での効率的な考え方を学べる、逆境でも前へ進む根性が養われ、逆境でもくじけないことの意義を学べる。
 
 それらは言うまでもなく、受験以外でも学べることである。スポーツ、バイト先、趣味……。
 必ずしもそれらを、受験の場で学ぶ必要はない。
 受験で学べたらそれは良いことだろう。ただ、それを学ぶのは受験じゃなくてもいい・・・。
 
 そもそも、効率的な取り組み方を身につけることや、逆境に打ち克つ力を付けることは、必須ではない。それらを身に付ける=人生幸せ、そんなことはない。
 
 社会生活を生き抜くために、それらを早急に身に付けることを奨励される。
 
 社会生活に適応しようと力を尽くした結果、うつ病になったり、睡眠時無呼吸症候群に悩まされたりと、苦しみにあえぐ人たちはたくさんいる。
 
 何が不幸の入口になるかわからない。
 
 
 少年ジャンプや予備校の授業は、娯楽に飢えた学生にとって面白すぎる。
 
 
 味の薄い母乳しか知らない赤ちゃんがミロを飲むと、未知の美味さに目をカッと開くらしいが、まさに同じ現象。
 
 面白すぎるから、強く求める。
 少年ジャンプと予備校の思想に浸る。「良いもの」だと思ってしまう。
 
 
 価値観を狭めるきっかけになる。生き方を狭めるきっかけになる。人生を狭めるきっかけになる。
 
 
 幸福の入口かもしれない。
 先のミロの話はぼくが高校時代、授業で先生に教えてもらった。そのときとても面白く、幸せだった。
 
 当然、仮想敵を倒すことで得られるカタルシスは生きる上で必要だ。
 受験で得た知識や考え方が未来の選択肢を広げるきっかけになるかもしれない。
 
 どちらも大切なのは言うまでもないが、その先を考えるべきだ。
 
 自分のやってることが、どんな危険性を持っているか。
 
 自分のやってることの危険性を疑って生きてる人が、世界にはどれくらいいるだろうか。
 
 そんな誠実な人たちが増えてほしい、今日この頃。

なぜアダルトビデオ界の巨匠は、多重人格の女性と本気で向き合ったとき、「人格を1つに統合したりせず、7人全員そのまま残そう」と決意したのか

 
 多重人格、そして性、人間の尊厳について深く考えさせられる名著『マルチエイジ・レボリューション』。
 
「納品されれば良い」という考えで、とにかく画を撮り作品を作ってはベルトコンベアに乗せる制作手法が主流のアダルトビデオ業界で、
撮影する女性、一人一人と正面から向き合い、人の奥深くを見つめる作品を産み出す特別なAV監督・代々木忠(よよぎただし)。
 
 氏の撮影手法は、独特だ。
 
 まず、撮影前に女性と必ず「面接」をする。「最近どうなの?」とか「彼氏とはうまくいってる?」とか、色々なことを訊いて、女性の話に耳を傾ける。女性の立場になって、想像力を駆使して、親身になって女性の話を聞く。
 
 そんな氏に女性は、だんだん心を解放して本音を話していく。ふだんの生活で溜まっている鬱憤や、誰にも話せず、理解もされなかったしこりのような悩みを打ち明ける。
 
 それはまるでカウンセリングのようである。カウンセラー役である氏は、女性の心理の、ふだん見せているより奥へと入り込んでいく。
 
 撮影時は、時に催眠やチャネリングを用いて心を閉ざした女性の殻を開いていく。面接時の話から、この女性に心を開いてセックスしてもらうにはどのようなアプローチをすればいいかを考え、現場で試す。
 
 今まで氏は数々の、過去に深いトラウマを抱え、心に闇を閉じ込めた女性を撮影し、その過程で、彼女たちの閉ざされた門を開いてきた。
 
 いつしか氏の許には、自分の悩みや生きづらさを解決するための手段に氏のビデオを見出した女性が来るようになった。「私を撮ってください。そして、私を救ってください」と、彼女たちは自ら氏のビデオへの出演を願った。そして、色んな形で彼女たちは救われていった。
 
 そんな氏が自ら筆を執り、書き上げたノンフィクション『マルチエイジ・レボリューション』の主人公・泉みゆき(24)も同じケースである。
 

「きょうは代々木おじちゃんにお願いがあって来ました。」
 
 彼女のそれまでになく真剣な表情に、自然と私も居住まいをただした。四歳の少女は怖じけることなく切々とこう訴えはじめたのだった。
 
「一つの体にたくさんの人が入ってるのは、べつに変じゃないと思ってたけど、みんなもそうだと思ってたけど、みんなは私やまいちゃんやみなみお姉ちゃんやかおるお姉ちゃんみたいに中に入っている人はいないとわかりました。でもほんとは私たちとおんなじような人もたくさんいます。だけど、中でいろいろお話とかができる人は少ししかいなくて、病院とかに閉じ込められている人がたくさんいます。私たちは変でもないし、病気でもないです。
 
 代々木おじちゃんはビデオとか本とか書いてるし、私たちのこと、病気とか変とか言わないでほしいって、ゆかちゃんたちのこと、本とかでみんなに言ってください。お願いします」
 

 作中で代々木忠にそう話したのは、泉みゆきの4歳の人格・ゆかである。泉みゆきが4歳の頃、母親に水を張った浴槽に投げ込まれたときに生まれた人格である。
 
 泉みゆきの中には、他にも5人の人格がある。
 
 泉みゆきが小学1年生の頃、洗濯物を山ほど持って階段を降りていたら後ろから母親から突き落とされたときに生まれた6歳の人格。
 
 母親の借金と引き換えにレイプされたときに生まれた小学校6年生の人格。
 
 しっかり者で理路整然とした言動が特徴の、泉みゆきの理性を請け負う大人の人格。
 
 同じく泉みゆきと同年齢だが、人生や社会への不満や鬱憤を色濃く抱え、他者に暴言を吐いたり自傷したりと、暗部を請け負っている人格
 
 そして、みゆきの心のなか(7人の人格が住む内的世界)に置いてある、【暗くて寂しい感じのする黒い箱】に入ったままずっと出てこない、小学校3年生の人格・・・
 

 こういう話をすると、どうしても「なんだかキナくさい」「多重人格っていうけど、ただの演技じゃないのか?」という疑問が浮かんでしまうものだと思う。
 
 一度ぼくは、泉みゆきが話している実際の映像を見たことがある。
 

7人の人格全てを映像に収めた幻のビデオ『多重人格、そして性』の映像を観て感じられたこと

 
 
 そもそもこの『マルチエイジ・レボリューション』に書かれている泉みゆきとの交流や、諸々の悩みや生きづらさの解決への突破口になる【オーガズム】を目指して実際に男優の平本一穂氏や日比野達郎氏とセックスを行なったときの様子は、『多重人格そして性』というタイトルのビデオになって一度世に出ている(今はどうやら廃盤になっているようだが)。
 
 
 廃盤がゆえに手に入れられなかったのだが、代々木忠を追ったドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』にてそのビデオの一部が使われていたので、ぼくは泉みゆきの映像を断片的に見ることができた。
 
 黒色の服を着て、赤い口紅を塗った、かしこまった恰好の女性が画面に映った。輝きのない暗い一重まぶた。中年女性のように窪んだ口元。
 
「私はその間は眠っているような感覚で、フッと目がさめると、もう、この辺(体)が、血だらけになってて、その辺にカッターがあって・・・っていう状態が何度かつづいたんですよね」
 
 この真面目そうな印象の女性の下には、[泉みゆき 24歳(基本人格)]というテロップが出ていた。
 
 場面が変わり、次に映ったのは、布団の上で泣き叫ぶ泉みゆきと、その上に覆いかぶさって彼女を優しく抱きしめている白髪の男性――つまり代々木忠――の画だった。女性は代々木忠の腕に抱かれながら、涙でにじんだ目をギュッとつぶり、腕にしがみつくようにして叫んでいた。
 
「私が・・・」
 
「こっちを見て」
 代々木忠が静かに語りかける。
 
「私が消えちゃうー!!!」
 そして彼女はむせび泣いた。
 
 次の場面では一転、青い服を着て銀色のメガネをかけた泉みゆきが映っていた。かしこまった格好のときと違って柔らかな印象を受けた。
 
「ゆかちゃんはきょうは森にいってました!」
 そう言って口元をムギュッと真一文字に結ぶと、相手の次の反応をイキイキ待つかのように、体を弾ませるようにあどけなく上下させた。その場にじっとしてられない活力が感じられた。
 
「森に行ってなにしてたの?」
 代々木忠が訊く。
 
 彼女は何か話したそうに
「んーっとねえ!」
 と応答したが、
 
「んーっとね・・・」
 と、次は話の内容を探るかのように下を見た。
 
 話す内容を見つけたのか代々木忠の方を見てこう言った。
「・・・クマさんのとこいったんだけどね、いなくってね、それで、で・・・」
 
 24歳の基本人格(泉みゆき)と4歳の人格(ゆか)。2人の様子を見比べると、【豹変】と言うには自然すぎた。そこには力みがどこにも見当たらない。2人は完全に地続きの存在だった。
 
 演技だとしても業界人がヨダレを垂らして求めるだろう逸材だ。
 
 しかし映像を見て息を呑んだぼくは、本物or偽物を見極める視点とは完全に別次元の感想を抱いた。
 
「これは、世の中の大半が認知していない、人間が本来持っている能力であり、可能性だ。」
 
 ぼくは、4歳の言葉と口調で話す彼女に一種の共感すら覚えた。
 
 誰でもストレスが溜まったとき、駄々っ子のような態度を取ったりと幼児退行する瞬間があると思うが、彼女のそれは、幼児退行の延長線上にある―――そう直感できた。
 
 つまり、彼女は特別でもなんでもなく、ぼくらと地続きの人間でしかない。この人格の切り替わりは、おそらく、役に憑依する役者の演技と原理が似ている。
 
 映像を見ているぼくの無意識下で、価値観がガタンと音を立てて動き出すのが感じられた。
 
 多重人格、自分のなかにいる、何人もの自分。怒り、悲しみ、強がり、憎しみ。
 
 人間の深み・・・・・・
 
 
 
 『多重人格そして性』のエンディングでは、泉みゆきの暗部を請け負う人格が言った以下の言葉が、そのままテロップとして使われている。
 

 私たち七人は
 それぞれ必要があって
 生まれたのです
 誰一人かけても
 生きてこられなかった
 

 『マルチエイジ・レボリューション』を読むことで、ぼくは多重人格への偏見が打ち砕かれ、より人間の神秘と不思議を感じ、深みを見出し、興味を掻き立てられた。
 
 そんな読書体験を、ぜひ、あなたと共有したい。
 
 「人間とは何か」という問いに、いささかでも興味を抱いているあなたに、この本を読んでもらいたい。
 
 多重人格という数奇な運命を生きる泉みゆきの生活や心のなかを、本書を通じて知り、感じることで、それらが全く他人事ではなく、あなたの生活や心のなかと直結していることがわかるだろう。

発言するということ

 
色々考えるんですけど
 
けっこう辛口な意見も持ってるんですけど
 
いざアウトプットしようと思うと、周りの人への影響を考えてしまったり、
 
「おれの意見・考えなんて、結局は偏見で、意味ないよな」
 
と感じてしまって、発言を躊躇してしまったり
 
意見を文字にしたあとに「うわあ、粗がいっぱいあるなあ」と思ってしまったり・・・
 
今まで投稿した記事の数々も、正直読む人たちから「厨二病だなー」「イタイなー」って思われるんだろうなーと思いつつ、その時その時で勇気を出して、変でつたない考えをさらしてます。
 
まあ、こういうことはあんまり書かないようにしようと思ってたのですが・・・
 
これが、「作品を世に出すということは、腹をくくる、ということであるんですよ」という言葉の意味か、と。
 
Def Techが
「あーだこーだ言われて当然ダルイ批判や噂むしろ光栄
それがフロントマンの宿命いちいち気にしてたら身がもたねー!」
と歌ってますが、
 
たとえ歌だろうと、そう言いきっちゃうの、すごいですね。
 
そもそも僕、周りの人たちに比べて友達すごく少ないですし、この投稿だってそんなに、テレビの視聴者みたいにものすごい多い数の人たちが読んでるわけじゃないので、
まあ、この考えも自意識過剰なのかなと思いますが。
 
僕がいかに世間知らずの『わかってない』子供であるかは、僕以外の人が僕を一目見た瞬間、パッと判断できてしまうのだと思います。
これって、悔しいですね。
 
まあとりあえず・・・
これからも僕は、こんな感じで、妙な投稿をし続けたいと思います。
ぶっちゃけね、僕のように何もしてなかった、何も考えてこなかった人というのは、厨二病を経ない限り、大人にはなれないわけですよ(笑)
僕は早く大人になりたいので、いかにくだらない考えでもそれが今の自分の本心ならば、隠さずになるべくアウトプットさせていただきます。
心の中に何かを宿しながらも、それを出さずに隠してたら、それは消えないし、改善されないんですよ。